説教の紹介

説教の紹介

鄭 明析 (チョン・ミョンソク) 牧師が礼拝で伝えた説教 (御言葉) の中から2つを抜粋して紹介します。

いつも感謝しなさい

聖句

テサロニケ人への第1の手紙5章16〜18節

「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 すべての事について、感謝しな
さい。これが、キリスト・イエスにあって、神があなたがたに求めておられるこ
とである。」

マタイによる福音書6章19〜22節

「(前略)むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し
入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。 あなたの宝のある所に
は、心もあるからである。(後略)」

詩篇100篇1〜5節

「(前略) 感謝しつつ、その門に入り、ほめたたえつつ、その大庭に入れ。主に感
謝し、そのみ名をほめまつれ。主は恵みふかく、そのいつくしみはかぎりなく、
そのまことはよろず代に及ぶからである。」

詩篇105篇1〜4節

「主に感謝し、そのみ名を呼び、そのみわざをもろもろの民のなかに知らせよ。

主にむかって歌え、主をほめうたえ、そのすべてのくすしきみわざを語れ。(後略)」

説教の紹介

人々はよく「感謝」と言ったら、お金を捧げたり、供え物を捧げることを考えます。
聖三位である神様・聖霊様・御子は、私たちを救い、死から生かしてくださり、霊を永遠に生きるようにしてくださり、聖三位を愛するようにしてくださり、難しい問題を解決して下さり、神様を新郎として接する新婦になるようにしてくださるなど、数千とおりに助けて祝福してくださっています。このことの対価をお金や物質で捧げることは、この世のどこの誰でもできないでしょう。

「感謝」は、神様に真心で霊・魂・肉を捧げることで、日ごと三位の喜びと愛の対象になって生きるということです。
うまくいく時でもいかない時でも、いつも全能なる神様に感謝することです。人生を生きる間、いつも神様は私たちを助けてくださり愛してくださっているからです。

使徒パウロはイエス様を信じる人たちに、再び来られる主を迎える希望について話してあげ「いつも喜びなさい。休むことなく祈りなさい。万事に感謝しなさい」(テサロニケ人への第1の手紙5章16節)とおっしゃいました。

私たちはこの時代に遣わされた人を迎えて神様の創造目的の御心を成して生きる人たちです。ですから、日ごと喜びの生・祈りの生・感謝の生を生きなくてはいけません。
過ぎた日、神様と聖霊様と主が死ぬところから生かしてあげていない人は一人もいません。生かしてあげなかったら肉体も死んでないだろうし、霊魂も死んでいることでしょう。肉体も霊魂も生きるようになったから、感謝して喜んで神様を愛して生きなくてはいけません。

自分の肉体と霊魂を生かしてくださった神様をなおざりにしたら、神様に行く霊波が途切れて神様も自分を考えから忘れてしまうようになります。それによって死の境遇にいるときに心情が通じないから、神様も自分を救うことができなくなります。

神様に感謝と愛の収穫を捧げなければ、自分のものを奪われ他の者に与えられます。植えなければ、生えないし刈り取れません。感謝を植え、愛を植えなくてはいけません。祈りと讃美と喜びと栄光を植えなくてはいけません。真実な善を植えなくてはいけません。時になれば、数百倍、数千倍の実を結ぶようになります。神様がくださったものを感謝して喜びで甲斐あるように使わなくてはいけません。それが感謝することです。

感謝することを研究して、くださったことを忘れないようにして尊く使わなくてはいけないし、自分のためにしてくださった人を証し伝えなくてはいけません。
分かって行う人だけが感謝が何かを悟り、神様に感謝して生きるようになります。私はまるで一つの目的を置いて成すように感謝する人生を絶え間なく生きてきました。これを見て神様は尊いものの主人になるようにしてくださいました。神様と聖霊様と御子主と一体になったら、いつも感謝して喜んで祈るようになります。

お祈りをするときも最初にすることが「感謝」です。そうしてこそお祈りの門が開かれます。呼吸するようにいつもどこでも感謝する生を送ることを聖三位の御名で祝福します。


(2020年4月5日礼拝の御言葉より)

永遠でいらっしゃる愛の神様

聖句

ヨハネの第1の手紙4章7節〜11節

愛する者たちよ。わたしたちは互いに愛し合おうではないか。愛は、神から出た
ものなのである。すべて愛する者は神から生れた者であって、神を知っている。
愛さない者は、神を知らない。神は愛である。神はそのひとり子を世につかわ
し、彼によってわたしたちを生きるようにして下さった。それによって、わたし
たちに対する神の愛が明らかにされたのである。わたしたちが神を愛したのでは
なく、神がわたしたちを愛して下さって、わたしたちの罪のためにあがないの供
え物として、御子をおつかわしになった。ここに愛がある。愛する者たちよ。神
がこのようにわたしたちを愛して下さったのであるから、わたしたちも互に愛し
合うべきである。

ヨハネによる福音書3章16節〜18節

神はそのひとり子を賜わったほどに、この世を愛して下さった。
それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである。
神が御子を世につかわされたのは、世をさばくためではなく、
御子によって、この世が救われるためである。
彼を信じる者は、さばかれない。信じない者は、すでにさばかれている。
神のひとり子の名を信じることをしないからである。

説教の紹介

愛の主人は神様でいらっしゃいます。だから、愛は神様に属したものです。

真実に愛する人は皆、神様が生んだ人で、その精神と思想と行ないは神様が生んだものです。また神様を愛さない人は、神様を知らない人です。

神様はそれぞれの人に直接愛をくださいますが、メシヤを遣わしてその人を通して一層愛してくださり、救われます。これが、「神様の愛のしるし」です。すなわち神様が遣わした人を知ることが「救い」です。神様が遣わした人を愛することで、神様を知るようになります。
新約のときはイエス様を愛してのみ、その人を通して神様を知ることができました。神様は人々がメシヤ・イエス様を愛するほど話してくださり、教えてくださいました。この時代もそうです。愛は、私たちが先にしたのではありません。神様が先に私たちを愛してくださいました。神様は人間を愛してこの地上にメシヤを送ってくださり、その人を通して罪を許してくださり、互いに仲むつまじくするようにしてくださいます。

絶対神である神様と聖霊様と御子が、救い歴史6000年間この世の万物と人々を愛してくださったので、私たちも互いに愛し合うことがふさわしいです。これによって「神様が生んだ人だ」、「神様のものだ」と言うことができます。

永遠でいらっしゃる愛の神様はどのように愛してくださるでしょうか?
ヨハネによる福音書3章16節で「神はそのひとり子を賜った程に、この世を愛して下さった。それは御子を信じる者がひとりも滅びないで、永遠の命を得るためである」と話されたように、神様は時代ごとにご自身が肉体として使う使命者を遣わし、その人を通して愛してくださいました。そしてその人を信じる人はみんな滅ぼされず、永遠の命を得るようにさせました。

神様と聖霊様と御子は時代ごとに遣わした使命者を使って御言葉を与えて救いを得させることで、旧約時代には主人がしもべを愛するように、新約時代には親が子供を愛するように、「成約時代」には新郎が新婦を愛するように愛します。

この時代には三位が時代の使命者の肉体を使って話してくださり、その御言葉を聞いて信じて従う人たちを三位の愛の対象、時代の新婦にならせてくださいました。
そして時代の使命者を通して、地獄に行く私たちに代わって十字架を背負ってくださることで、救いと引き上げを成してくださいました。だから引き上げられた肉体は地上で三位の愛の対象になって生き、引き上げられた霊は黄金天国に行きました。神様は私たちを永遠に生きるようにしてくださっています。神様が私たちをそれほどにも愛してくださっていることを悟って、いつも感謝し、また感謝しなければなりません。永遠に変わらず神様と聖霊様と御子主を愛さなければなりません。

愛も引き上げも次元を上げるためには、事あるごとに神様が愛してくださることを分かって感謝しなければなりません。また神様がどれだけわたしたちを大切に愛してくださるのか知らなければならないし、その愛を受けて熱心に行なって「生命力ある信仰」をしていくことを聖三位の御名で祝福します。

(2020年3月15日礼拝の御言葉より)