「心をつくし、精神をつくし、思いをつくして、主なるあなたの神を愛せよ。
自分を愛するようにあなたの隣り人を愛せよ」 
マタイによる福音書22章



この聖書の言葉は、鄭 明析(チョン・ミョンソク)牧師の生き方を端的に表しています。もの心がついた頃からキリスト教福音宣教会(CGM)が世界数十カ国に広がった今日(こんにち)にいたるまで、鄭牧師は一貫して神を愛することを生の中心にし、神とともに生きることの素晴らしさを伝えつづけています。

鄭牧師の生涯

人生の問題と信仰のめばえ


鄭(チョン)牧師は、戦後の混乱期の1945年に韓国で生まれました。
貧困と飢えに苦しんだ幼少期を送る中で、鄭少年は「他の子たちは学校にも行けるし、ごはんも食べられるのに、どうして僕はこんな山奥の貧しい家に生まれたんだろう」と考えたそうです。小学生にして生きる現実と向き合わなくてはならなかった彼は、「人は何のために生きるのだろう」という人間なら誰でも考える普遍的な問いかけを神に向けるようになります。

鄭牧師が生まれた村にも伝道師がやってきて聖書の教えを伝えはじめ、聖書が神から人類へのメッセージだと知った彼は、夢中になって読みはじめます。満足に食べられない希望のない生活の中で、イエス・キリストとその教えが彼の心の支えとなっていきます。

人生の問題と信仰のめばえ
人生の問題と信仰のめばえ

修道生活

鄭少年は聖書の言葉とともに成長していきました。
聖書に「キリストが地上に再び来たら天国がなされる」と書いてあるのを知った鄭少年は、生活の苦しみから救ってくれるイエス・キリストに会えるのを心待ちにして過ごします。
一方で、「キリストが雲に乗って来る」「キリストが来たら火で地上を裁く」など、聖書を読めば読むほど疑問が募ります。教会の牧師に聞いても答えを得ることができず、彼は祈りでイエスにひとつひとつの疑問を問いかけるようになります。

修道生活

昼間は両親の農作業を手伝い、畑仕事にも聖書を持ち歩き読みふけり、日が暮れると山や洞窟にこもって月あかりやロウソクの灯を頼りに読み、祈って聖書の中の疑問や胸の内の思いを打ち明けました。

雨の日も雪の日もイエス・キリストを師として聖書の真理を学ぶ。そんな彼の姿を、家族や村の人は理解できず「気が狂った」と揶揄(やゆ)されながらも、鄭牧師は青春を神に捧げ、33歳になるまで21年間修道生活をつづけます。


修道生活の中で彼が悟った多くの真理の中でも核をなすのは、人類史の中で絶え間なく注がれてきた神の愛と、十字架の上で自らの命をも捧げたイエス・キリストの愛です。
私たちひとりひとりに向かう天の大きな愛とその心情が鄭牧師の心に深く根を下ろした時、彼は冒頭のマタイの聖句のように、心と思いと命をつくして神を愛し、一生をかけて神の願いをなすために生きる決心をします。
真理を求めて行った聖書の通読は2,000回以上にもなりました。

修道生活
修道生活
ベトナム戦争

ベトナム戦争


鄭牧師は、修道生活の間に2度ベトナム戦争に参戦しています。

戦争を通して同僚や敵の死を目の当たりにした彼が骨身にしみるほど悟ったことは、人の「命の尊さ」でした。死と隣り合わせの戦場においても聖書を肌身離さず持ち歩き、神に「命を守ってください」と祈りつづけました。この祈りには、生きて祖国に帰ってくるという自身への祈りのほかに、同僚や敵の命への祈りも込められていました。

マタイによる福音書5章には「敵をも愛しなさい」という聖句があります。
幼い頃から神とイエスを信じ、聖書の言葉を守って生きてきた彼にとって人を殺すことは絶対に考えられないことでした。しかし、敵を殺さなければ自分が死ぬという状況下でそんなことが可能なのでしょうか?

ベトナム戦争

ある日、鄭青年は戦場の前線で、銃口を自分に向けたひとりのベトコンに遭遇しました。それは、敵のベトコンを撃たなければ自分が死ぬという状況でした。その時、彼は「愛しなさい!」という稲妻がとどろくような神の声を聞いたそうです。続いてベトコンの顔が彼の妹(ヨンジャ)の顔に重なり「ヨンジャ、どうしてここに?」と銃を下ろし我を忘れて歩みよった時、敵兵と涙を流しながら抱きあうようになったといいます。極限の状況下においても神が願うことを行うことで、敵同士が愛しあう奇跡が起こるようになりました。

1969年に鄭氏は3年半の従軍生活を終え、神に祈ったとおりに生きて故郷・韓国の地を踏むことになります。鄭牧師が連れてきた捕虜からの情報により部隊が戦果を挙げた功績などで、6つの勲章が授与されました。

ベトナム戦争
福音のはじまりと広がり

福音のはじまりと広がり

1978年、鄭牧師はソウルに上京し、それまで悟った福音(神の言葉)を述べ伝えはじめます。
21年の修道生活の間に、彼は聖書を深く掘り下げました。「神は何のために人を造ったのか?」「キリストが来ると死んだ肉体が生き返るのだろうか?」「エデンの園でアダムとエバにどんなことが起こったのか?」など、ひとつの疑問を解くために5,000回以上祈りつづけることもあったといいます。



聖書の言葉を人々に述べ伝え、病気の人のために祈り、家のない人を泊めるという、聖書の言葉のとおりに生きる生活を続けるうちに、鄭牧師は神の言葉には人の霊と精神、肉体を生かす力があることを実体験してきました。
修道生活の終わりに、鄭牧師は自分の将来の道について祈っていると、イエス・キリストに就職について相談している夢を見ます。いろいろな職場に行った後に、イエスは鄭牧師に一本の筆を渡しました。この夢を通して「神様の言葉を、イエス様から学んだとおりに伝え広めよう」と啓示をうけた彼は、首都ソウルに行く決心をします。

福音のはじまりと広がり

宣教会の設立


 大きな志をもってはじめた福音の道ですが、初めの2年間は鄭牧師の御言葉(神の言葉)に耳を傾ける人はほとんどいませんでした。しかし、諦めず根気強く述べ伝えるうちにだんだんと人が集まりはじめます。ひとりでも数十人でも、人数に関わらず御言葉を教え、時には10時間以上も説教を伝えることもあったそうです。


 鄭牧師は「聖書は、時代背景を踏まえ理知にのっとって正しく学ばないといけません」と言っています。彼の教える聖書の教えは、若い人から年配の方々まで幅広く受け入れられ、韓国全域に広がっていきました。ソウルやプサンなどの都市部や各地域に教会ができるようになると、牧師は韓国全国を巡るようになります。

宣教会の設立

80年代中盤からは海外にも宣教の道が開かれ、日本、台湾などのアジア諸国、アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリアの地にも鄭牧師の真理の御言葉が伝えられます。

彼が創設したキリスト教福音宣教会(CGM)は、現在では全世界数十か国、数万人に広がっています。

困難と迫害


地動説を主張したガリレオが異端審問で軟禁されたように、無実の罪で十字架にかけられたイエス・キリストのように、歴史を見ると革新的な考えを持つ人がそれを理解できない民衆の反対や暴力にさらされてきた例が多くあります。
1990年代の後半にキリスト教福音宣教会(CGM)が順調に信徒を増やしていくと、宣教会への注目度も高まりこれを面白くなく思う人や利用しようとする人たちも現れました。また韓国で大学生をはじめとする若者の会員が増えるにつれ、伝統的なキリスト教界から「異端だ」という声が強くなっていきました。


2008年、鄭牧師は宣教のため滞在していた中国で複数の韓国人女性信者に対して性的被害を加えたという容疑で中国公安当局から身柄を拘束されます。取り調べの結果「嫌疑なし」と判断され釈放されますが、韓国に移転され刑事裁判を受けることになります。

韓国での裁判で検察側が証拠として提示したのは、被害女性の証言と日本の週刊誌2誌に掲載された、鄭牧師が宗教団体の教祖という地位を乱用して信徒の女子学生らに性的関係を迫ったという記事でした。


2006年4月6日に中国・鞍山(あんざん)市で性的暴行を受けたと訴え出た女性のひとりは、その2日後に鞍山市中央病院で検査を受け性的暴行を受けた形跡はないと診断されています。裁判が続く中、起訴していた女性のひとりが母親とともに裁判所を訪れ「実際は、私は性的暴行を受けておらず、もうひとりの女性も性的暴行を受けたことはありません。ある告発者の指示で嘘の提訴をして今まで偽証してきました」と刑事告訴を取り下げました。


日本の裁判では、写真週刊誌に書かれた記事が検証されることなく証拠として採用され、司法判断に影響をおよぼすようなことはほとんどありません。しかし、韓国では鄭牧師に関するスキャンダルな報道が数多く報道されており、裁判官の心証への影響が危惧されていました。そして、韓国でキリスト教福音宣教会(CGM)を異端視している伝統的キリスト教派の長老が複数、裁判官の中に含まれていました。


2009年2月、鄭牧師は懲役10年の判決を言い渡されます。裁判の場に参加した信徒は、裁判長が「証拠があるとかないとかいうことが問題ではない。被告人が異端の指導者であり、女性は要求に逆らいづらかったのではないかということだ」と述べたと証言しています。
鄭牧師をめぐる裁判は現代における宗教裁判のように見受けられます。そして判決については、確定後にその信憑性を疑うメディアの報道や司法関係者の意見が多く寄せられています。


10年における獄中生活の中で鄭牧師が行ったことは、それまでの生活と変わりなく、信徒と人類のために祈ること、神の言葉を記録して伝えることでした。また韓国でベストセラーとなった詩集「詩の女人」をはじめ、箴言集、説教集など63冊の本を執筆しました。その内容はすべて、神を愛すること、神に捧げること、人々を信仰の道・真理の道へと導くことに潔いほど終始しています。


「苦労するとしても、命の道を行かなければならない」という言葉は鄭牧師の座右の銘となっています。命の道とは、善の道、死ではなく生きる道、人を生かす道のことを指しています。キリストの平和と友愛の精神を受け継いだ彼は、どんな困難があろうともどんな場所であろうとも、ひたすら平和と愛への歩みをつづけています。

世に例をみない自然の中の聖殿



鄭牧師は福音を伝える傍ら、1989年から故郷の地である月明洞(ウォルミョンドン)に、信徒とともに聖殿の開発を行うようになります。
これは自然を活かして数十トン、数百トンの岩を縦に立てて置くという神の構想を実現した、世界にも類を見ない自然の中に立つ聖殿です。

 

人間の考えでは到底思いつくことができない勇壮な自然聖殿は、神の精神に触れることができる場所として、鄭牧師と神のさまざまな経緯がこもった場所として、年間数百万もの人々が訪れ、祈りを捧げることができる名所となっています。

世に例をみない自然の中の聖殿
世に例をみない自然の中の聖殿
世に例をみない自然の中の聖殿
世に例をみない自然の中の聖殿
世に例をみない自然の中の聖殿
世に例をみない自然の中の聖殿
世に例をみない自然の中の聖殿
世に例をみない自然の中の聖殿

鄭牧師の略歴

鄭牧師の略歴

鄭 明析(チョン・ミョンソク)


1945年 大韓民国の錦山郡珍山面石幕里にて出生

1953年 キリスト教の教会に通いはじめる

1966~69年 2度にわたりベトナム戦争に参戦

1978年 ソウルにて布教活動を開始

1982年 韓国大学宣教会(後のCGM)を設立 

1983年 ウェスレー(メソジスト派)神学校を卒業

1984年 韓国各地方に教会を設立。海外宣教開始

1999年 キリスト教福音宣教会(CGM)、国際文化芸術平和協会(GACP)を創立。宣教や執筆活動のためヨーロッパ、中国などに滞在

2009年 懲役10年の判決を受ける

2018年 刑期満了にて出所。以後、韓国にて宣教・スポーツ・文化芸術活動に勤しむ

キリスト教福音宣教会 Christian Gospel Mission

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